岸信介は何をしたのか?昭和の妖怪と呼ばれた首相の功罪と歴史の真相

岸信介は何をしたのか?昭和の妖怪と呼ばれた首相の功罪と歴史の真相についての疑問解決ガイドをご紹介します。

なぜ東条英機内閣の商工大臣として開戦詔書に名を連ねた男が、極刑を免れ、それどころか首相の座にまで登りつめることができたのでしょうか。そこには、第二次世界大戦終結直後に勃発した米ソ冷戦という、国際政治の地殻変動が深く横たわっていました。

岸信介がA級戦犯容疑を不起訴となり巣鴨プリズンから釈放されたのは、1948年12月24日のことです。これは東条英機ら7名の死刑が執行されたまさに翌日でした。釈放の決定打となったのは、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による対日方針の180度転換、いわゆる「逆コース(Reverse Course)」でした。1949年の中国共産党による中華人民共和国建国や朝鮮戦争の前兆を前に、米国政府は「日本の徹底的な非軍事化・民主化」から「日本を強固な反共の砦として経済復興させる方針」へと舵を切ったのです。

米国側から見れば、卓越した行政手腕と官僚機構への圧倒的な支配力を持ち、徹底した反共主義者である岸信介は、共産主義勢力の伸長を防ぎ、親米政権を打ち立てるための最も利用価値の高い政治指導者でした。自著『岸信介回顧録』において岸自身も、獄中で世界情勢の激変を冷静に分析し、自身の歴史的役割が再び巡ってくることを見越していた旨を述懐しています。

この復権劇を裏付ける決定的な証拠として、1990年代以降に米国国立公文書館で機密解除された外交史料(『米国外交文書(FRUS)』等)の存在があります。米国政府の公式記録により、1950年代から1960年代にかけてCIA(米中央情報局)が岸信介や自民党中枢に対し、巨額の極秘資金を提供していた事実が白日の下に晒されました。機密文書には岸が駐日米大使や情報当局者と定期的に接触し、日本の政局動向や反米デモの抑え込み策を共有していた克明なやり取りが記されています。岸は自らの親米保守政権を維持するために米国の情報インフラをプラグマティックに活用し、米国もまた岸を「日本の安定装置」として全面的に支援したという冷徹な同盟関係が存在していたのです。

林 結菜

林 結菜

ライフスタイル編集者

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。