荻生徂徠の思想とは?朱子学批判と吉宗を動かした『政談』の真実
歴史ファンの間で今なお議論が絶えないのが、元禄16年(1703年)に起きた赤穂事件に対する徂徠の対応です。荻生徂徠の赤穂浪士切腹論をめぐっては、「情け容赦なく武士を処刑に追い込んだ冷血漢」という誤解がネット上などで散見されますが、史実の法理判断はそのような浅薄なものではありません。
当時、幕府内や儒学者の間では「主君の仇を討った義士として無罪放免にすべき」とする助命論(室鳩巣ら)と、「徒党を組んで静謐を乱した逆賊として斬首すべき」とする厳罰論が対立していました。その中で徂徠が提示した建議の論理構造は、極めて洗練された法解釈でした。
「義は己を潔くするの道にして、法は天下の規矩なり。私義を以て公法を害せば、天下の法立ち難し」
(義とは己の信念を貫く私的な徳であり、法とは天下を治める公のルールである。個人の美談や心情を理由に公の法を曲げてしまえば、法治国家の規律は崩壊する)
徂徠は浪士たちの行動を「武士としての私的な義」として高く評価し、その志を認めました。だからこそ、罪人として首をはねる「斬首」ではなく、武士の名誉を保たせる「切腹」という形式によってその義を全うさせ、同時に幕府の最高法規である「喧嘩両成敗」「徒党の禁止」という公法をも死守したのです。公(パブリック)と私(プライベート)の峻別を徹底したこの裁定は、感情論に流されやすい日本社会において、法秩序の独立性を担保した金字塔的判断と評されています。