うつろ舟の正体とは?江戸のUfo伝説を最新研究と古文書から暴く
うつろ舟をめぐる議論は、昭和後期から現代にかけて「UFO・宇宙人飛来説」として世界的なオカルトブームを巻き起こしました。1970年代以降、米国のUFO研究者たちによって「江戸時代のアダムスキー型円盤遭遇事件」として紹介され、茨城県大洗町の大洗海岸には観光伝承として記念碑やモニュメントが設置されるなど、町おこしの象徴としても親しまれてきました。
しかし、近年の歴史学・民俗学の学術的アプローチは、より地に足のついた「外国人漂着説」を強力に支持しています。その突破口を開いたのが、岐阜大学名誉教授の田中嘉津彦氏らによる『漂流記集』の原典発掘と現地調査でした。
これまで『兎園小説』に記されていた「はらやどり浜」という地名は、幕府の記録や当時の郡村誌に存在せず、架空の創作物語である決定的な証拠とされてきました。ところが、『漂流記集』に記された「常陸国鹿島郡 原舎浜」という地名を伊能忠敬が作成した実測日本地図(伊能図)と照合したところ、現在の茨城県神栖市波崎の「舎利浜(しゃりはま)」に実在していたことが判明したのです。
地名が実在したとなれば、事件そのものの輪郭が一変します。1800年代初頭の日本近海は、ロシア使節レザノフの来航(1804年)直前であり、北太平洋では捕鯨船や毛皮交易船が頻繁に行き交っていました。女性の外見的特徴である「白い肌、赤褐色の毛髪、白い付け毛」は、当時のロシア系、あるいは北欧系の女性の身体的特徴と完全に合致しています。
では、なぜ舟はあのような異様な球体形状をしていたのでしょうか。一説には、大型の西洋船に搭載されていた「円形の救命ボート(カプセル状の脱出艇)」、あるいはロシアや欧州でアザラシ猟や捕鯨に用いられていた耐氷・耐波仕様の小型特殊艇が、嵐で母船から切り離されて漂着した可能性が指摘されています。船体の下部に貼られていた鉄板は、流氷や岩礁から船底を守る防護板(シーシング銅板・鉄板)の構造と酷似しているからです。
そして最も残酷な疑問が残ります。なぜ村人たちは、この可憐な美女を保護せず、「再び舟に乗せて沖へ押し流してしまった」のでしょうか。
その背景には、当時の幕府が敷いていた徹底的な鎖国政策と「異国船打払令」の前夜における厳格な統制がありました。もし異国人を保護したとなれば、代官所や幕府への届出、長期にわたる詮議、さらには長崎への送還費用など、貧しい漁村が到底賄いきれない莫大な財政負担と責任問題を背負わされることになります。村の古老が「お上(幕府)に知れれば村中がただでは済まない。見なかったことにして海へ戻そう」と判断したのは、極めて合理的かつ悲痛な自衛手段だったのです。