なぜ神田神保町に人は集まるのか?再開発と文化が交差する街の現在地

なぜ神田神保町に人は集まるのか?再開発と文化が交差する街の現在地の詳細について、分かりやすい解説を取りまとめてご紹介します。

神保町がなぜこれほど特異な文化街へと発展したのか、その起源を紐解くには明治初期の教育制度改革まで遡る必要があります。当時の駿河台から神保町一帯には、現在の東京大学の前身諸機関をはじめ、明治大学、法政大学、中央大学、専修大学、日本大学の前身となる私立法律学校が相次いで創設されました。日本屈指のメガ学生街が形成されたことで、高価な専門書や法律書を安価に手に入れたい学生と、教員たちの研究需要を支える古書店が自然発生的に集まってきたのが発端です。

大正2年(1913年)の神田大火で街は甚大な被害を受けましたが、復興の過程で岩波茂雄氏が興した岩波書店をはじめとする新刊書店や出版社が続々と集結。知の供給基地としての地位を決定づけました。

そして、本の街の発展と不可分に結びついているのが、神保町名物の「カレー」と「純喫茶」の文化です。現在、神田エリアには400軒以上のカレー提供店がひしめき、日本屈指のカレー激戦区として君臨しています。なぜカレーだったのか。その背景には、当時の学生や研究者たちの切実な生活様式がありました。

「本を片手に持ちながら、スプーン1本で手軽に栄養価の高い食事が摂れる」「短時間でかき込めて腹持ちが良い」。こうした読書人のライフスタイルに合致したのがカレーでした。さらに、買い求めたばかりの貴重な本を開き、活字の世界に没頭するための場所として純喫茶が発達します。社会学者のレイ・オルデンバーグが提唱した「サードプレイス(家庭でも職場・学校でもない第3の居場所)」が、神保町では1世紀近く前から自律的に機能していたのです。

石川 優花

石川 優花

インテリア&ライフスタイルコーディネーター

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。