徳富蘆花はなぜ兄・蘇峰と絶縁したのか?代表作『不如帰』と和解の真相
兄との決別後、日露戦争に反対の立場をとった蘆花は、1906年にエルサレムへの巡礼の旅に出ます。その帰途、ロシアのヤースナヤ・ポリャーナに滞在し、精神的な師と仰いでいた文豪レフ・トルストイと対面を果たしました。
トルストイの非暴力主義と労働を尊ぶ農本主義に深い感銘を受けた蘆花は、帰国後の1907年、東京府荏原郡千歳村粕谷(現在の東京都世田谷区粕谷)の土地を購入。「恒春園(こうしゅんえん)」と名付けた約3,000坪の敷地へ移住します。
この世田谷の地で、蘆花は妻・愛子とともに自ら畑を耕し、土にまみれて生きる「晴耕雨読」の生活を始めました。気性が激しく時に周囲を翻弄した蘆花を、愛子は深い理解と献身で支え続け、ここから数々の名作や日記文学が生み出されていくことになります。