ゴイアニア被曝事故の真相と現在|青く光る粉が招いた悲劇と教訓

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ゴイアニア被曝事故の発端は、1985年に移転・閉鎖された私立病院「旧ゴイアニア放射線治療研究所(Instituto Goiano de Radioterapia: IGR)」に遡ります。施設内には、当時最先端のがん治療用機器として導入されていた放射線治療器の回転照射ヘッドが残されていました。その心臓部には、放射性同位元素である塩化セシウム137(放射能強度:約50.9テラベクレル/約1,375キュリー)が、高密度の鉛とステンレス鋼で作られた遮蔽容器内に封入されていたのです。

なぜ、これほど極めて危険な放射線源が、警備員もいない廃墟に放置されていたのでしょうか。取材記録や公式報告書によると、病院跡地の敷地所有権を巡り、元経営者グループと土地所有者の間で泥沼の法廷闘争が繰り広げられていました。裁判所による立ち入り差し止め命令が下されていたため、安全な撤去作業が阻害され、さらに委託されていた警備会社も撤退。管理責任の所在が曖昧になった結果、建物は窓ガラスが割れ、誰でも侵入可能な「危険な空白地帯」と化していました。

1987年9月13日、金属くずを集めて生計を立てていた2人の若者、ロベルト・ドス・サントスとワグナー・ペレイラが換金目的で廃墟に侵入。彼らは重厚な金属の塊であった照射ヘッドを台車に乗せ、持ち去ってしまいました。2人は自宅の庭で工具を用いて遮蔽容器の破壊を試み、数日後に内部の重金属を露出させることに成功します。その過程で容器に小さな亀裂が入り、中から暗闇で神秘的な青い光を放つ粉末が漏れ出しました。

この発光現象は、放射線(高エネルギーのベータ線)が空気中の窒素や水分を励起・電離することによって生じる物理現象、あるいは蛍光作用によるものでした。しかし、放射能に関する知識を一切持たなかった彼らにとって、それは「暗闇で美しく光る魔法の粉」にしか見えなかったのです。すでにこの時点で、2人は激しい嘔吐や下痢、手の壊死といった急性放射線症候群(ARS)の初期症状に襲われていましたが、単なる食中毒やアレルギー反応だと思い込み、事態の異常性に気付くことはありませんでした。

山本 拓海

山本 拓海

ヘルス&ウェルネスアドバイザー

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。